今年の夏公開されるポケモン映画「ミュウツーの逆襲evolution」
まさかの3D映画!
5月に放映される「名探偵ピカチュウ」といい3D三昧の今年のポケモン。
自分は「名探偵ピカチュウ」も「ミュウツーの逆襲」も両方楽しみです!
「名探偵ピカチュウ」に関してはもう第2部の制作がすでに決定しているとか?
ポケモン映画も来年はもうアニメも新シリーズになってるでしょうからどういう方向性になるのか気になります。
サンムーンになってから作画を一新したり、
映画をアニメシリーズとは違うものにしたり、
ここ数年ポケモン界隈には大きな変化がありました。
これだけの長寿の作品としてシリーズ存続のために模索と挑戦をしないといけないところに来たのかもしれません。
そして今年の剣盾ではどのような動きがあるのかも注目です!
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時代はさかのぼること約20年前。
初のポケモン映画が全国でロードショー。
当時karasoraはまだ幼稚園(だったかな?)
映画館も家族で賑わっていて、会場どころか廊下まで人の列が出来ていたのを覚えてます。
映画の予告PVで新ポケモンが写っていた時の衝撃がすごかった。
「誰!?誰アイツ!? 何あのポケモン!?」
自分含む、友達はみんな口揃えて「152番目と153番目のポケモンが出る!」と大盛り上がり。
当時の新ポケモンは「ブルー」と「ドンファン」。
ブルーは予告PVでは着彩ミスで体が青くなっており、
そのため当時ブルーの呼び方は「顔がピンクのポケモン」だったのを覚えてます。
(子供ながらに映画でブルーの体がピンクになってて「あれ??」って思ったのも覚えてますw)
そのブルーが出ていた同時上映の「ピカチュウのなつやすみ」が終了して本編に突入します。
「私は誰だ ここはどこだ」
当時の子供はこのセリフをことあるごとに口ずさんでいて印象に残らないわけがない。
そして自分もまだ幼くミュウツーの境遇を全くというほど理解できていません。
とにかく「ポケモンだから面白い」という感覚だった自分。
「これは攻撃でもなく、宣戦布告でもなく、私を生み出したお前たちへの逆襲だ」
ストーリーが進んでも映画の重さに全く気付きません(ミュウツーに戦線布告されたことにも)
正確にはシリアスムードなのは当然感じ取ってました、
ポケモンに限らず、アニメの重いシーンは意味がわからなくても子供は雰囲気を感じ取る。
そして重い雰囲気を打開していくのが主人公であるというのがキッズアニメの王道です。
なので「サトシ達が悪者であるミュウツーを倒して終わる」
そういう物語だと、当時子供だった自分は感じとっていました。
アニメではサトシの一歩二歩先に行っているライバル「シゲル」がやられている1シーンを見た時
「え?あれシゲル?‥‥‥あ、やっぱこいつ(ミュウツー)ヤバイやつだ」
圧倒的な強さを見せるミュウツーにサトシが勝てるビジョンが全然浮かびません。
補足しておくと、「ミュウツーの逆襲」が放映された後にサトシ達はトキワジムに挑むのですが、その時にシゲルが先にジムに挑んでいました。
シゲルはミュウツーに一方的に負けてしまうといったアニメの展開があり、
ミュウツーの逆襲では一足先にアニメのまだ放送されてないシゲルvsミュウツーの1シーンを先行公開してました。
そう考えると映画の時系列は当時のアニメの先の出来事だったんですね。
ミュウツーの逆襲といったらやっぱりあのシーン。
オリジナルとコピーの戦いです。
あのシーンこそこの映画の全てがつまってると言っても過言ではありません。
戦いで次々にポケモンが倒れる演出、
ピカチュウのコピーが泣きながら一方的にピカチュウにビンタをするシーン。
あのシーンは当時も泣いてしまいました。
さっきも書きましたが自分は「ポケモンだから面白い」という雰囲気でしか作品を見れない子供だった、
重い描写の意味など全く理解していないのにも関わらず泣きました。
これってすごいことだと思うんです。
だって当時自分がアニメで泣いたことが一度もなくて、
なんでポケモン見てて泣きたくなるのかも理由も分からなかった。
そんな子供でも何かしら感じ取れる作品って今思えばとんでもないことだと思うんです。
ピカチュウのコピーが泣きながらピカチュウをひっぱたくのは
心内では戦いたくないという感情が攻撃のたびに強くなっていったから。
攻撃すればするほど自分と同じ生き物だと感じてしまう、なのに攻撃しないといけない。
脚本家の首藤氏のコラムを読む限り、この感情はピカチュウだけではなかったことがわかりました。
サトシが固まった時にポケモン達が涙していたのがその理由なのですが、
ちょっとこれは順を追って説明が必要です。
・まず、なんでサトシは石のように固まってしまったのか?
これも答えが脚本家のコラムで説明されてましたが、
サトシはポケモンを「戦わせるトレーナー」だったにも関わらず、
ミュウとミュウツーの争いの悲惨さにショックで「もうやめてくれ」と無意識に「戦いそのものを否定」したことで
トレーナーとして矛盾を抱えたサトシにはもう何も語ることは許されない、
つまり「無言」でいることしかできないという意味での「石化」だったようです。
・では、なぜサトシはその「沈黙」から復活できたのか?
答えから言いますと「ポケモン達がサトシに消えて欲しくなかったから」
これが先ほどの「ポケモン達の涙」の答えにもなります。
コピーとオリジナルの争いでピカチュウのこともあったように、
戦うこと自体が辛くなっていたポケモン達は争いを止めるきっかけを欲していたのですが、
そのきっかけになった存在こそがサトシでした。
戦いをさせるトレーナーなのに、そのトレーナーが戦いを止めるという矛盾を抱えているからこそ「失ってはいけない存在」とサトシが認識されたのですが、
それにポケモン達が気づいたタイミングがサトシが沈黙した後でした。
そして失った理由が「自分たちポケモンの争い」だったことによる「喪失感から来る涙」がポケモン達の涙の意味でした。
劇場公開からしばらくして、ミュウツーの逆襲の「完全版」なるものがテレビで放送されます。
追加されたシーンはミュウツーが目覚めるまでの物語。
その完全版で「ポケモンが泣く」ということの また違った意味も明らかになります。
ミュウツーが装置の中で眠っている時、ミュウツーは意識世界の中で「アイツー」というフジ博士の娘のコピーと出会います。
アイツーは自分がポケモンか人間か分からないミュウツーに対して
「悲しくて涙を流すのは人間だけ」
と涙を流すミュウツーに言っているのですが、
映画の終盤でポケモンも悲しみで涙を流すことで
「人間もポケモンも同じ生き物だし涙も流す、それは今を生きているコピーだって同じ生き物なんだから戦う必要はない」
という「喪失感からの涙」に加えて「争う必要はない」という答えを提示した描写としてメッセージ性がより強いものになりました。
初期のアニメポケモンの脚本を担当していた首藤剛志さん。
「ミュウツーの逆襲」「ルギア爆誕」「結晶塔の帝王」とポケモン映画の脚本もしていた方です。
とてもメッセージ性の強い描写が多いことでも有名で、実際自分も心を撃ち抜かれることが多かったです。
しかしそのメッセージ性が強いことが原因で、ポケモンファンからの辛辣な意見も多かったようです。
確かにコラムを読んだ時も「ポケモン自体はそんなにすきではなさそうだな」と感じる部分もありましたが、
でも「仕事として」取り組んでいたならそれも仕方のないことです。
むしろ作品を通して伝えるメッセージの奥深さや、テーマ性に関しては天性の才そのものです。
それはミュウツーの逆襲を知っている方なら理解している方が多いかと思います。
首藤剛志さんは2010年にお亡くなりになられましたが、
現在のアニメスタッフの方々は首藤剛志さんのテーマ性を今も大切にしているのが映画からも伺えます。
「君に決めた」「みんなの物語」それぞれに首藤剛志さんのアニメで放送できなかったプロットの一部を明らかに意識したであろうシーンが
ありました。(「きみにきめた」のポケモンが存在しない世界等)
そして今年の「ミュウツーの逆襲revolution」。
今の技術でどういった進化をとげて帰ってくるのか今から楽しみでなりません!
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